大切な人をなくした夜に~娘に伝える父のこと~

父が亡くなりました。

亡くなる直前までとても元気だったので、知らせを聞いた時からずっと、ウソみたいな気がしています。

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それでも火葬を終えてからは、もう2度と父に触れることはないのだという思いが心を占めています。

もし生前、私が父と言葉で気持ちを伝えあってきたなら、亡くなった父に手紙を書いたかもしれません。

けれど私はいつも、たくさんのものを背負う父の両肩を、後ろから眺めていました。

だから父への思いや託されたものは、娘たちに伝えていこうと思います。

亡くなったことはわかっていても、実感が持てずにいる彼女たちが、いつか親の死と向き合う日のために。

 

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「じいたん」の記憶

ほのか・のどか

あなたたちが大人になった時、おじいちゃんの記憶はあまり残っていないかもしれません。

亡くなる時まで仕事をしていて、2人と過ごす時間はそんなにたくさんなかったから。

それでもきっと2人は、いつまでも「じいたん」のことを、楽しい記憶として覚えていてくれると思います。

そしてそんな2人の存在が、この時期を支えてくれたこと、いつか伝わるといいなと思って、手紙を書いています。

 

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じいちゃんとお仕事のこと

じいちゃんは、若い頃からたくさん仕事をして会社を作り、家族と、会社で働いてくれる人たちと、自分のためにがんばっていました。

お仕事は大変そうだったけど、まわりの人に恵まれ、時にはケンカもしながら、とても前向きに事業を広げました。

いろんなことにすぐ興味を持って、なんでもやってみる人でした。

せっかく稼いだお金を無駄に使っては、ばあちゃんや私に叱られてばかり。

バカみたいな話に乗っかって、損することもよくありました。

「あんなに苦労して稼いだお金なんだから、もっと大切なことに使いなよ」と、何度言っても「やってみること」をやめませんでした。

でも、じいちゃんのお金の使い道は、無駄なことだけではありませんでした。

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家族や、ばあちゃんとの旅行。

お気に入りのレストランでの食事。

ばあちゃんが、「いつか住んでみたい」と言ってた一軒家。

命を削って稼いだお金で、たくさんの大切な人の夢を支えてもきました。

家族やまわりの人にとって、じいちゃんは頼もしい、大きな船のような存在でした。

初めての仕事は、子どもの頃から夢だった船を造る仕事だったと言っていたから、ずっと船を作っているようなつもりでいたのかもしれません。

その上で生活する人たちを、力強く守ってきました。

 

「お父さん」だったじいちゃんのこと

ほのかとのどかのじいちゃんは、39年間私の「お父さん」でした。

じいちゃんが生まれた時、父親は戦争で死んでしまっていたから、じいちゃんはお父さんがどんなものかを知らずに「お父さん」になったそうです。

それでもじいちゃんはいつも、私や弟のすることを楽しそうに見ていました。

落ち着いてどんと構えた「父」ではなかったけれど、一緒にいてとても愉快な人でした。

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何をしていても、いつも1番楽しそうだった。

私が何かに迷っていると、「失敗したって死んだりしないんだから、やってみろ」とよく言っていました。

困った時は、いつも助けてくれた。

運転が上手で、どんな場所でも連れて行ってくれた。

営業の仕事をしていたから、街中で「ハナコ!」と車から声をかけられることも、よくありました。

だからね、今でもあの街を歩いていたら、クラクションと一緒に、じいちゃんが車の窓から顔を出すんじゃないかと思えるのです。

あんなに慣れ親しんだ街を手放して、じいちゃん、どこへ行ったんだろう。

 

お葬式で知ったこと

仕事のことや親しい人のこと、じいちゃんは何でも話してくれる人でした。

だから離れて暮らしていても、知らないことなんて、あんまりないと思っていた。

でもお通夜やお葬式に来てくれた人からは、たくさんの、私の知らないじいちゃんの話を聞きました。

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仕事でおつきあいをしてきた人が泣いてくれたことに、私は心から驚きました。

お調子者で忘れっぽいじいちゃんを、あんなにたくさんの人が、深く慕ってくれていたことを初めて知りました。

あまりにも急で、早すぎる最期でした。

けれど、じいちゃんが大切にしていた人にお別れできたことは、本当に良かったと思います。

現役でつながっていられたからこそ、迎えられたさよならだと思うのです。

 

親との別れ

じいちゃんとは、少なくても後10年くらいは、一緒に過ごせると思っていました。

仕事が少し落ち着いたところだったから、これからはもっと一緒に楽しいことができるだろうと考えていました。

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家のことも会社のことも、全て自分で管理して、エネルギーにあふれていた人が、全てあっさり手放してしまうなんて、まだ信じられない。

おいしいものを食べるたび、楽しそうなことを見聞きするたび、ずっと考えています。

「お父さん、楽しいことやおいしいもの、あんなに好きだったのに、もう全部いらないの?」と。

本人だって、時間はまだあるはずだと信じていたと思う。

それでも、後悔の気持ちはありません。

もっと話せたことも、できたこともあると思う。

でもじいちゃんは、きっといつも、その時の全てを注いでくれたから、これからは私に残されたじいちゃんの思いを、いろんな言葉で2人に伝えていこうと思います。

 

じいちゃんに伝えられたこと

私は素直な娘ではなかったし、年齢とともにガンコになるじいちゃんを、これからもずっと好きでいられるだろうかと考えたこともありました。

ばあちゃんがいてこそのじいちゃんで、じいちゃんが1人残された時のことをうまくイメージすることもできませんでした。

けど、じいちゃんが亡くなる数カ月前、ベストな言葉ではなかったけれど、私の気持ちをひとつだけ、じいちゃんに伝えることができました。

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それは、

「お父さんが死んでしまったら、もちろん私はとても悲しいけれど、何かを失ったような気持ちにはならないと思う。

私はお父さんにとてもよく似ていて、思わず口にした言葉や、やることがお父さんそっくりだから。

まるで、のりうつったのかと思うくらい。

だから、いなくなっても存在が消えたように感じたりしない。」

という言葉でした。

じいちゃんはそれを聞いて、「そうか。そんならもう、いつ死んでもええな。」と、いつものように、とてもほがらかに笑っていました。

私は、それが悪い意味に伝わってしまうことを心配していたけれど、じいちゃんはとてもうれしそうでした。

だから、大丈夫でいようと思います。

じいちゃんがいなくても、思いはちゃんと生き続けると伝えられたから。

 

これからの私の仕事

じいちゃんはとても愉快な人で、火葬場へ向かう霊柩車の中でさえ、ばあちゃんと私と弟は、昔のことを思い出して、笑ってばかりいました。

真剣な話をしたことも、あんまりありません。

苦労しながら働く姿を、そばで見てきたわけでもない。

だからこそ2人には、「じいちゃんみたいに、楽しく生きること」を伝えたい。

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たくさん失敗して、バカなことばっかりやっても、じいちゃんはいつも本当に楽しそうに見えました。

時には楽しくないことだってあったはずだけど、そんな気持ち、絶対に見せなかった。

私はまだ、じいちゃんみたいに態度で示すことはできません。

けど持てる言葉のすべてを使って、2人には必ず伝えていきます。

人生は楽しいものだと。

いつ終わるかわからないし、どれだけ大切に思っていても、さよならだって言えないかもしれない。

けどそれでも、最期の瞬間まで、人はずっと楽しく生きていけるものだと。

じいちゃんはそんなふうに生きていました。

残された人の悲しみは消えません。

でも亡くなった人の思いも消えない。

2人はどうか、楽しく生きることをあきらめないでください。

いつまでも守ってあげられないけれど、じいちゃんがそうしてくれたように、私も2人と過ごす楽しい時間を、とても大切に思っています。

 

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