父の日に伝えるたくさんのありがとう~追いかけた背中に学んだこと~

父は今年72歳になりました。

商売人の父は、なんの根拠も後だてもないのに、思いきりだけは豪快な性格で、母はずいぶん危険な綱渡りもさせられたようです。

特に私と弟が小さかった頃や、教育にお金のかかる時期は気が気じゃなかったと、母はこぼしていたこともありました。

かなり深刻に、家にお金がなかった時期もあったようです。

それでも父はいつも明るく、どんなことがあっても「また稼げばいい」と笑っていました。

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つらいことも、悔しい思いも、たくさんあっただろうと思います。

私が結婚して家庭を持ってからは、父が経営する会社の話も母から聞くようになりました。

父が前向きだっただけで、いつも順風満帆だったわけではなかったのだと知ったのは、本当に最近のことです。

けれど苦労していることをほとんど知らなかったとは言え、父といるとどんなことでも自然に、「きっとなんとかなる」と思えるようになりました。

母に言わせると、私は父に「無責任なところがびっくりするほど似ている」そうですが、いいところを受け継いだな、と思います。

本人を前にすると相変わらず憎まれ口ばかりですが、年に数回あるかないかのこんな機会、せっかくなのでありがとうの気持ちを言葉で伝えます。

 

※結婚相手のお父さん、義理の父へのメッセージはこちら。

ひと言が、家族の絆を深めます。

義父に贈る父の日のメッセージ~いつもは言えないありがとう~

 

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プレゼントにそえるメッセージ

お父さん

欲しいものは自分でさっさと買ってしまうので、何をプレゼントしたものかと迷いました。

おいしいものはしょっちゅう食べてるし、服はお母さんのお見立てが一番。

お酒は飲み過ぎちゃいけないし…

あれこれ悩んで決めました。

暑い季節もみんなで一緒に出かけようね!

ハナコ

 

覚えちゃいない思い出話

父は記憶力が悪く、たいていのことは忘れています。

今でいうイクメンではありませんでしたが、私や弟とはしっかり関わってくれたので、父との思い出は多い方です。

それなのに、懐かしがるスキもないほど父はスッパリ忘れています。

幼い頃の話にしんみりな気分になったのに、父は全く覚えていないなんてことはしょっちゅう。

けどなんだか、それに救われてきたなぁと思うのです。

昔はよかったとか、あの頃がなつかしいだとか、一言も言わない父だからこそ、いつも明るくいてくれる。

父はほっといても楽しく過ごしているだろうと思えることは、本当に幸せなことだと最近とても思います。

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お父さん

さわやかな5月は母の日に持っていかれちゃって、こんなジメジメした季節に父の日だなんてさえないね!

私もすっかり忘れてしまいそうで、早めに手紙を書いています。

とは言ってもお父さんのことだから、父の日も忘れているんじゃないかと思っています。

そう言えば昔から、毎年ちゃんとプレゼントを渡したり、ありがとうを伝えてきたわけでもないのに、お父さんは何も言わなかったと思い出しました。

きっと忘れてただけだろうけど。

そんな「なんだってどうでもいいし、今がよければそれでよし。」みたいなお父さんとは、いつも気楽でいられました。

お母さんの堅実さもありがたかったけど、お父さんのアバウトさには、生きていくのに一番必要な力をもらったような気がしています。

いろいろ頭を悩ませることはあっても、やれることやるしかないよね、と思えるのは、お父さんをずっと見てきたから。

あきらめず、投げ出さず、それでも思い詰めず。

飄々としているように見えたけど、大人になったらこんなに難しいことなのかと気がつきました。

それでもやり通した背中を見てきたから。

私も後に続きます。

お父さんを見ていたら、男に生まれたらもっとよかったのかもしれない、と思う。

けれど男に生まれていたら、お父さんを超えられないことがつらかったかもしれません。

私は女に生まれて来れたので、お父さんにもらったメンタルのまま、お父さんにはできなかったことをして生きていこうと思います。

まだまだ見ててね。

私だってきっと、おもしろいものを見せてあげるから。

 

ハナコ

 

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父親らしさなんてなくてよかった

私が幼いころから母はよく、父にはお父さんがいなかったから、と言っていました。

6人兄弟の末っ子だった父の父、私の祖父は軍人で、太平洋戦争で戦死しました。

終戦の直前、父が生まれた直後のことで、結局一度も抱いてもらうことは叶わなかったそうです。

だからお父さんは、父親がどんなものかを知らない。

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母のその言葉は、およそ父親らしからぬ破天荒な言動を非難するようでありながら、父の自由な生き方をとても尊敬しているように聞こえました。

そして自分が社会に出てみてはじめて、普通はみんな、もっと自分を窮屈にしばりながら生きているものなのだと知りました。

だから私は自由に生きていくことで、父に感謝の気持ちを伝えたいと思います。

家族を持って、子どももいて、それでも父は好きにやっていた。

そんな父に、みんな幸せにしてもらった。

私もそんな風に生きたいと思うのです。

 

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