豆をたくさん炊きました~母に送る冬の手紙~
冬の一番の楽しみは、ストーブで作る料理です。
部屋をあたためながら、次から次へと料理のベースとなるものができあがっていくなんて。
ストーブはズボラで寒がりのハナコの、最高の冬のパートナーなのです。
寒いのは好きではありませんが、部屋の中があたたかければ問題なし。
そそくさと豆を煮たり、ジャムを作ったりしています。
ストーブの料理が好きな理由は、もうひとつ。
ゆっくりと、長い時間をかけて家の中で料理をしていると、家の中がやさしい香りでいっぱいになります。
豆やスープ、出汁の香りは寒い外から帰ってきた時、体と心をほぐしてくれた家の匂い。
母が絶やすことなくつないでくれた家族の記憶です。
いまだに一日中キッチンに立ち続けることが苦にならない母にはかないませんが、ハナコもストーブの力をかりてつなぎます。
大切な思い出。
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ちゃんとおいしく炊けました。
お母さん
いよいよストーブの出番だと、この寒がりの私が、寒波を待ちわびていました。
信じられないでしょう?
大豆や金時豆を買い込んで、ジャムのレシピも完璧。
ワクワクしています。
うっかり砂糖を切らすことが多いので、冬を越せるくらいの量をまとめ買いしました。
最初のうちだけでしょってあきれているかもしれません。
熱しやすいのはお父さんゆずり。
でも意外とお母さんゆずりの粘り強さもあるんです。
見ててね。
今年は豆料理をマスターして、春までいろんな種類のジャムも作るつもり。
豆はしっかり一晩水につけなさい。
苦い柑橘は子どもたちにはかわいそうなんじゃないの?
電話で心配そうにしてたけど、大丈夫。
お母さんもこうして、いろんなものを食べさせてくれた。
子どもだった私たちには慣れないものもたくさんあったけど、家中いっぱいになった香りは、初めてのものも食べられるように包んでくれました。
寒い日に玄関をあけたときの匂いが今でも大好きだから。
私が料理をする家も、湯気とごはんの匂いでいっぱいにしたかった。
幸せな記憶は、前へ進めと背中を押します。
しっかり水につけて丸くなった豆は、上手にふっくら炊けました。
この調子。
インターバルではお餅がふくらんでいます。
午後はジャムを作ったら、夕飯の出汁をとって、最後は湯たんぽのお湯。
お米も炊けるんじゃないかなぁって思うんだけど。
食欲と一緒に夢がふくらんで、部屋はどんどんほっこりします。
幸せだなぁ。
あんたねぇ・・・
ってあきれてたけど、これは遠い日の記憶と同じにおい。
お母さんが育てた幸せの香り。
守ってつなげます。
ストーブあるなら一品増やしなさいって言われる前に電話切ったけど。
ストーブの前でゴロゴロするのも至福の時間。
お母さんがゴロゴロしてるところは、見たことなかったけどね。
私もこれからがんばります。
ハナコ
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母とは違った、幸せの形
早くお風呂に入りなさい、ごはんが冷める前に食べなさい、と口うるさかった母。
子どもの頃は、お風呂は冷めたって好きな時間に入りたかったし、ごはんは作っておいてくれればいいのに、と腹を立てたこともありました。
作る人間になって、初めてわかった母の思いはあります。
冷えた体はしっかりあたためてやりたいし、ごはんは一番おいしい状態で食べさせてやりたい。
その視点では、ハナコも同じ場所に立ちました。
けれど唯一母が気がついていなかったのは、お風呂が少し冷めていても、ごはんができたてホヤホヤではなくても、あまるほど幸せだったということです。
すでに帰る家はあたたかく、今日も明日も守られている安心感。
十分だったんだな、と思います。
早くお風呂に入りなさい、ごはんが冷めるよ、と言いながら、楽しそうに笑っている子どもたちを見ていると、やるべきことはちゃんとできているんだな、とホッとした気持ちにもなります。
母の味、っぽい感じ
完璧を求めていたからか、教えられて学ぶものではないと思っていたのか、あんなに料理が得意なのに、ハナコは母に料理を教えてもらったことがほとんどありません。
それでも栗原はるみさんのレシピを再現していると、母が出していた味の深みに近づけることがあります。
「こんなにていねいに作っていたのか。」という思いと、記憶が文字化されたことへの安堵。
季節ごとのレシピをめくり、記憶をたどりながらキッチンに向かいます。
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