節分に送る、厄年の友人への手紙~いいことたくさんありますように~

大人だけの生活だったころ、節分はおつきあいで恵方巻を買って食べる程度の行事でした。

無病息災をなんとなく祈りながら、「風邪薬の買いおきあったかな?」と考えていました。

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けれど子どもが生まれ、季節の変化がダイレクトに体に影響するのを見ていると、節分で邪気をはらい、節句で無事を祝うというタイミングが、いかに的をえたものであるかを感じるようになりました。

幸いにもハナコの娘2人は健康で体も大きく、病気をしてもあまり重くなったりはしません。

けれどこの時期だけは家族みんなが嘔吐下痢に倒れたり、耳から出血するほどの炎症をおこしたり、咳が何週間もおさまらないなど、毎年のようにつらい思いをしました。

桃の節句を迎えるころ、ようやくすべてが落ちつき、やつれきった状態で「春がきた…。」と何度思ったことでしょうか。

ほんの少し、いつもより弱っていることを鬼は見のがしません。

体に変化があるという厄年。

大切な友人が、災いから守られるよう、願いをこめて手紙を書きました。

 

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鬼は外、福は内

ナナちゃん

節分をこんな身構えるようになったのは、子どもが生まれて以来です。

この時期って、空気に鬼の成分が含まれているんじゃないかとさえ思う。

元気な子でも、軽い病気をこじらせる。

そんなことが何度もあって、私は数年前から本気で無病息災をいのりながら、恵方巻を食べるようになりました。

年末最後に会ったとき、ナナちゃんが「ついに厄年だ。」って言っていたので、今年はナナちゃんの厄除けもお願いするつもりです。

すぎたことではあるけれど、私も数年前に迎えた厄年。

昔の人って、どうやって厄年わり出したんだろう?と思うくらい、体の変化を感じました。

それまで大丈夫だと思っていたことが平気じゃなくなって、いつも通りでいることがむずかしくなった。

整体に通ったり、サプリメントを飲んだり、いろいろ試してみました。

けど結局は、それまでの不摂生や生活習慣をかえないと、どうしようもありませんでした。

最盛期をすぎた自分の体とむきあう、節目だったのかもしれないと今では思う。

だからもし、ナナちゃんがすでにそういった変化に困っていたら、何か悪いことがおこっているのではなく、そんな時期なんだと、少しでも穏やかな気持ちでいてほしいと思っています。

気持ちが落ちついたからと言って体が楽になるわけではないし、結局自分でどうにかするしかないのだけれど。

それでもナナちゃんを必要としている人たちのためにも、心と体の折りあいをつけられる場所を見つけられるように願っています。

もちろん、なんにもなければ、それに越したことないよ!

おいしく恵方巻を食べて、豆まきして、鬼を追いはらいましょう。

昔は「やいかがし」と言って、鬼のいやがる強いにおいがするイワシを玄関先でやいたり、柊にさして玄関にかざったそうなのですが。

やっぱりにおいのせいなのか、私は見たことないのです。

けどそれで本当にご利益があるなら、本気でやってもいいと思ってしまうシーズン。

うがい薬だの、消毒液だのをそこらじゅうに配置して、敵を迎えうつ覚悟です。

カッコいいでしょ?

桃太郎のCMをおがんでしまいそうになるもの。

大切な人たちのために、今年もしっかり豆まくよ。

元気でいようね。

 

ハナコ

 

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大切な人だから、おせっかいする

年上ぶったり、先輩風をふかすのはうっとうしい。

けれどハナコが厄年で体の変調にふりまわされていたころ、あれこれと世話をしてくれた友人はとてもありがたい存在でした。

自分もそうだったと、おおらかに笑って話してくれた病気の話に、みんなそうなんだと気持ちが軽くなりました。

本気で考えてくれている人でなければ、ただのおせっかいです。

けど体がどうしても動かなくなったとき、力になってくれた友人の助けは、何にもかえがたいものでした。

だからハナコも、困っているなら助けたいと思う友人には、おせっかいな手出しをしています。

それだけ距離も近いなら、いらないなら大丈夫と言ってくれるだろうから。

おせっかいなおばさんになるのも難しい世の中ですが、いたっていいじゃないかと思う最近です。

 

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