あっという間に秋ですね~三十三回忌を終えた祖母への手紙~
祖母は今年、85歳になりました。
先月は祖父の33回忌の法要があり、祖母が1人で過ごした33年を思っていました。
もともと祖母はフルタイムで仕事をしていて、経済的にも精神的にも、祖父に寄りかかっている人ではありませんでした。
だから、さびしさと暮らしただけの年月ではなかったと思います。
けれど「弔い上げ」と言われる法要を無事に終えた祖母からは、ひとつ荷物を下ろしたような、この世への気がかりを終えたようなはかなさも感じました。
久しぶりに娘や息子が集まったこともあり、自分が亡くなったあとのお墓のことなども話していたせいでしょうか。
「まだまだ元気でいるよね?」と、思わず口に出しそうになりました。
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あの年も、すぐに秋になったから
おばあちゃん
先日は、法事のあれこれお疲れさまでした。
暑い中での準備、大変だったでしょう?
何もお手伝いできなかったけど、参加できて本当によかったと思っています。
おじいちゃんが亡くなって、もう33年もたつんだね。
私にとって、大切な人が亡くなった初めての経験だったから、今でもよく覚えています。
秋に体調が悪くなって入院したおじいちゃんを、寒い頃からずっとお見舞いに通ったこと。
春がすぎて夏が来る頃は、もうほとんど話すこともできなかった。
それでも汗びっしょりになりながら、病院まで毎日自転車で会いに行きました。
夏空が真っ青でした。
幼い私は、おじいちゃんの命の灯が消えかけていることも理解できなかった。
ずっとそんな生活が、ずっと夏が、続くのだと思っていました。
自転車をこぐ目の前の景色に、入道雲がいっぱいに広がる頃、おじいちゃんは亡くなりました。
お葬式も、それに続く法要も、夏の明るい陽ざしの中でした。
だから今でも、悲しかったはずのあの夏は、暗い記憶の底に沈んではいません。
無責任だとは思いながら、きっとおばあちゃんもさびしがってばかりはいないだろうと、信じてきました。
全部じゃなくても、決してまちがってはいなかったと、33回忌を迎えた今年の法要で思ったよ。
前向きに1人でいて、前向きにおじいちゃんの死とむきあってきたおばあちゃんを見て、時間を重ねることの意味を知ったような気がしています。
33年間、おつかれさまでした。
おじいちゃんはとっくに極楽浄土にいるだろうけれど。
世話かけたねって、笑ってる。
だからこれからは、自分のことだけ考えて、のんびりして下さい。
やりたいことも、まだまだあるでしょう?
また一緒にごはんを食べに行こうね。
ハナコ
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とんちんかんな親戚のつどい
結婚して生まれた土地を離れたこともあり、私はこれまで、実家の親戚の集まりにはほとんど出席しませんでした。
おじやおばにも亡くなる人が増え、転勤先の地に根を下ろし、疎遠になった親戚もいます。
昔のように、派手な結婚式をしなくなったことも、会わない理由のひとつです。
だから叔父・叔母・いとこ・母・父を中心に、祖母のこれからが託される人たちが集ったのは、本当に久しぶりのことでした。
旧家でもなんでもないので、かたくるしい枠組みはないのですが、それでも私は嫁に出た人間なので、少し離れた立場で、みんなの話を聞いていました。
それにしても。
親子や夫婦、兄弟であるにもかかわらず、なぜこんなに親戚というものは、意思疎通のできていない関係であるのかと驚きました。
私と両親とはかなりコミュニケーションや理解ができている(と思っている)のですが、同じ土地で生活をしない、あるいは所帯を別に構えた人たちの、すれ違い方と来たら…
夫婦でさえ、関係者集合という場になって、「はじめて聞いた。」だとか、「これまで話さなかったけど。」というところから話がスタートするしまつ。
祖母は見るからに高齢で弱っていて、叔父だって大病を患う身です。
それなのに、この危機感のなさ。
結局その日も、大切なことは決まらないまま終わりました。
祖父の亡くなった後の33年間が、ある意味では空白だったことに、愕然とした集まりでした。
祖母はこれから、何十年も生きたりはしません。
祖母にとっては、いろんな思いのある33年間だったはずです。
「空白を、埋めてあげなよ。」は、離れてみたから、感じたのかもしれません。
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