桃の節句に母へ贈る手紙~大切に育ててくれてありがとう~
幼い2人の娘のためにひな人形を飾るようになってから、母の思いがわかったような気がしています。
実家には、もともと母が生まれた時に買ってもらったというひな人形が毎年飾られていました。
結婚して娘が生まれたので、ハナコはてっきり、あの古いひな人形を譲り受けるのだと思っていました。
けれど母は、孫娘のために新しいひな人形を買いました。
12月に生まれたばかりの娘の初節句は3か月のころ。
外は寒く、慣れない育児でとても一緒に選ぶ余裕はなかったのですが、家に配達された人形は、3段飾りの清楚で美しい京雛。
十二単の色から、一目で高価だとわかる贈り物でした。
「見てたらどんどん目移りしちゃって。」と笑った母は、私たちの負担にならないようにと気にかけながらも、満足のいく買い物を楽しんでくれたようでした。
単調な毎日に、美しいひな人形はいろどりをあたえてもくれました。
だから当時は、ひな人形っていいなとは思いながら、そこにある想いには気がつかずにいました。
けれど今、娘のためにひな人形を飾りながら、思いを馳せるのはあの古い、人形にこめられた母の気持ち。
いまだ話さないその気持ちを、娘のハナコに暴かれるのを母は望まないかもしれません。
けれどいつか知ってくれてもいい。
気がついてたよ、の気持ち。
それは、娘たちにも伝えたいと思っています。
※ 桃の節句に、大人になった娘たちに伝えたい思いをつづった手紙はこちら。
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てっきりもらえるものだと思ってた
お母さん
今年もひな人形を出しました。
毎年のことながら、なかなかあれは大仕事。
それでも子どもたちの喜ぶ顔や、春らしい十二単の色を思い出すと、どうしても見たい気持ちにさせられます。
子どものころもずっと、お母さんはあんな面倒なもの、どうして毎年懲りもしないで飾るのかと思っていました。
まだ私が小さいうちならともかく、結婚した今でさえ、お母さんはひな人形を飾る。
私はてっきりその古い人形をもらえるものだとばかり思っていたけれど、そうではなかったことに当時はびっくりしました。
それでもこうして何年も続けておひなさまを飾っていると、お母さんの気持ちが少しわかったような気がしています。
めずらしさのあまりイタズラばかりする時期が過ぎると、子どもたちは「自分のための」おひなさまを、それはそれは大切にするようになりました。
自分のために買ってもらったというだけでなく、この人形は、自分の成長や幸せを願うためのものであること。
その思いを、人形のたたずまいからも感じたようでした。
何度もうっとりとながめては、
「おひなさまって、結婚式してるんだよねぇ。」とか、
「おひなさまって、神様なの?」とか。
なにかしら自分の知識のおよばない、特別な存在だと思っているようなのです。
そして最後はいつも、
「このおひなさま、ほのかとのどかが幸せになれますようにって、飾ってあるんでしょう?」と、満たされた笑顔でいうのです。
彼女たちの認識に大きな間違いはなく、私はいつもすべてを「そうよ。」と肯定します。
かつて私も、そうしてお母さんに毎年何度も同じ質問をくりかえしていたから。
そしてそのたびにお母さんは、「そうよ。」とこえたえてくれた。
あの時の胸いっぱいにひろがるやわらかい気持ちは、今でも忘れられません。
私が何よりも大切に思っていた気持ちが、こうしてひな人形をとおして彼女たちに伝わっていく。
出し入れのわずらわしさも、押し入れをふさぐかさばりも、すべてはこのためなんだと甘く押しよせるあきらめ。
そしてお母さんはきっと、今でもその気持ちを大切にしてくれているのだと思うのです。
だから私が結婚して家を出てもずっと、ひな人形を飾ってくれているのでしょう?
おひなさまの由来を話してきかせたり、歌を一緒に歌ったり、お菓子を一緒に食べたり。
子どもたちとおひなさまを前に過ごす時間は年々短くなります。
すっかり慣れっこになった人形を見る顔つきは、幼いころとはずいぶんちがう。
もうあんなふわふわした笑顔も、さわってもいい?と必死でたのみこんでくるようなこともない。
何度も歌うひな祭りの歌も、あんまり聞かなくなりました。
「いってきます。」の横顔で、ちらりとおひなさまを視界に入れただけで出かけていく。
私は後姿が見えなくなってから、「今日もがんばってくれるといいね。」と、おひなさまに話しかけています。
そうしながら、きっとお母さんも、こうして私の無事をずっと祈ってくれていたんだと気がつきました。
そして今でもおひなさまを前に、幼いころの笑顔を思い出したり、幸せを祈ってくれている。
だからお母さんは、私と一緒に飾ったひな人形を手放さなかったんでしょう?
今ではきっと孫娘のたち幸せも祈りながら、手元に残しておいてよかったと、思ってくれているはずです。
お母さんのおかげで、私は娘たちとの思い出を作ることができたし、2人のこれからを祈る幸せも知りました。
娘たちに私が教えてもらったように、幼い私に、お母さんが幸せを感じてくれていたらいいな。
楽しい思い出が、残っているといいな。
ほんの少しあたたかくなった春の風に、昔のお母さんを思い出していました。
大切に育ててくれて、ありがとう。
ハナコ
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娘がいる幸せ
ハナコには弟がいます。
年が4つ離れた弟はいつまでも幼く、頼りない男の子でした。
そんな弟を、母はいつもとても気にかけていました。
厳しく育てられたハナコには、甘やかしすぎだと思えたほどです。
思春期にはそんな母に反発し、愛されていないのではないかと思ったこともありました。
その気持ちは、すぐに消えたわけではありません。
それなりに大切にはされていたけれど、弟と同じように愛情をかけられているとは思えない時期は長くつづきました。
でも自分が母親になり、娘がそこそこ大きくなると、娘にしか生まれない信頼感や願いがあることに気がつきました。
そうしてはじめて、母の気持ちがわかったような気がしています。
ストレートにありがとうを伝えることはできなくても、娘たちにちゃんと向きあっていれば、いつか母の気持ちがこうして受け継がれていることがわかってもらえるはずだと思っています。
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