雨水に想う、娘たちとの時間~ひな人形を飾る日に~

雨に土のにおいがまじるようになりました。

晴れ間からのぞく青空は濃く、力強さをましています。

本格的な春とともに、おとずれるのは桃の節句。

 

 

そろそろひな人形を飾る時期です。

言い伝えでは、雨水にひな人形を飾ると良縁に恵まれるとのことで、娘を持つ母親であるハナコも、この頃をめやすにしています。

娘たちにとって、結婚することが幸せになることだと、盲目的に信じているわけであはりません。

ただ、結婚によって生まれる幸せもあり、彼女たちが将来それを望むなら、道がつながればいいなとは思います。

彼女たちが迷ったときに、「子どもっていいよ。」と言ってやれることは、「あなたたちと過ごす時間は本当に楽しい。」と同じ意味を持っています。

私が娘たちと過ごしてとても幸せであるように、娘たちにもこんな時間が訪れますように。

きっと母もそう思って、あんなに大切に、毎年ひな人形を飾ってくれていたのだなと今では思います。

 

※ 自分が母親になって気がついた、母がひな人形に込めてくれた思い。

母への感謝の手紙はこちらです。

桃の節句に母へ贈る手紙~大切に育ててくれてありがとう~

 

スポンサーリンク

 

いつか2人に幸せが

ほのか・のどか

今年もひな人形を飾る時期がきました。

「雪が雨に変わるころ」という意味で、雨水と呼ばれる日がひな人形を飾るのに良い日と言われています。

21720d2cca11e66502c2ed91983bd272_s

いい人とめぐり会えるんだって。

2人が8歳と5歳のひな祭りに、ひな人形っていうのは、おひなさまとお内裏様の結婚式なんだよって教えてあげたら、顔を見あわせて、とってもはずかしそうに笑っていた。

ちょうど夢中になっていたディズニーのプリンセスたちのように、おひなさまたちもまた、運命の人に出会えた2人なんだってこと、初めて知ったのでしょう。

結婚だとか恋だとか運命だとか。

まだまだそんなこと、夢の世界のおはなしだと思っているみたい。

かわらしいプリンセスたちのキスシーンにも、真っ赤になっているもんね。

「こんなのやだ、したくない!」なんて、いつまで言っているかしら。

そう思いながら、私は笑いがこらえられないでいました。

そしてこんなにも楽しい時間に、「おひなさま、ありがとう!」なんて、方向性のおかしな感謝の気持ちを爆発させていました。

2人をがっかりさせてしまうかもしれないけれど、私は結婚にも、子どもを持つことにも、期待をしたことがありませんでした。

たとえば結婚すれば素晴らしい生活が待っている、とか。

子どもが生まれたら毎日が充実する、とか。

それよりは未熟な自分が、そんな変化に合わせて自分を変えていけるだろうかと、戦々恐々としていました。

どちらもおめでたいことなのに、結婚した時も、2人が生まれた時も、気持ちは喜びとは遠いところにありました。

だから「結婚ていいよ。」とか「子どもってかわいいよ。」と、言えたことがなかった。

それでもいつもフワフワと楽しそうにしている2人を見ていたら、ここまでこれてよかったな、と思います。

まだ途中だということはわかっているし、ここまででさえ道のりはとても険しかったけれど。

「どうしたらいいんだろう。」と迷路をぐるぐるしていた気持ちは、「かならず守る。」という決意にかわりました。

こんな小さなおひなさまに、願いを託してしまうほど私は非力です。

それでも、どんな細い道からでも、2人の幸せが続いていてほしいと思う。

おひなさまに雪は見せられない。

彼女のこれからが、そんな厳しい冬のような人生であってほしくはないから。

だから春がやってきたことを確かめたら、外の世界はこんなにも素晴らしいよと見せてあげるね。

冬がくることはさけられない。

けれどそれはあたたかく、すばらしく、楽しく、美しい季節を知ったあとでいい。

2人のことは、もうしばらく私が守ります。

たとえ間もなく守りきれない時が来ても、ずっと願っています。

どんな形であっても、幸せでいてくれますように。

母がそうして願いつづけてくれたように、私もひな人形を飾ります。

 

6歳と9歳の春に

おかあさんより

 

スポンサーリンク

 

なんでそんな面倒なこと

ただでさえ狭いマンション暮らしで、それなりの大きさがあったひな人形はとても場所をとりました。

押し入れの半分をしめ、たくさんの小さな人形や道具を飾る手間を見ていると、本当にこんなものは必要なのかとずっと思っていました。

 

 

結婚して子供が生まれ、母が女の子なんだからとひな人形を買ってくれた時も、うれしさ半分、わずらわしさ半分の気持ちでした。

けれど子どもたちが少しずつ手を離れ、私には願ったり祈ったりすることしかできなくなることが増えると、ひな人形をとてもいとおしく思うようになりました。

かわいいおひなさまをうれしそうに見上げていた幼い笑顔や、いたずらして叱ったこと。

おままごとして遊びたいとぐずったこと。

どれもその時は、珍しいことではありませんでした。

それでも娘たちが出かけて誰もいない部屋にそっと飾られたひな人形を見ると、今日も2人が無事であるように、楽しい時間がずっと続くようにと思います。

きれいにととのえたひな壇に、侍女やお道具をたくさん従えたおひなさま。

彼女が幸せになるには、ほこりを払い、ぼんぼりに光を灯す誰かが必要です。

おひなさまはハナコに、手がかからなくなっても、子どもたちにはまだまだ自分が必要なのだと、教えてくれる存在でもあるのです。

 

スポンサーリンク

 

コメントを残す

サブコンテンツ

はじめにもどる