父に贈る、勤労感謝の日の手紙~ありがとうは今でも照れるけど~

70歳を過ぎても現役で働き続けた父でしたが、今年の8月、ついに第一線を退きました。

とは言ってもまだ会社にポジションはあり、毎日出勤しています。

何度かの転職もありながら、ずっと営業職だった父。

生来の人付き合いの良さや前向きな性格、広く浅い趣味の数々が幸いし、本人も人間関係には辛い思いをせずに人脈を広げたようでした。

とは言ってもそこから事業を起こし、失敗をくり返しながらも拡大して来た過程には、苦しいこともたくさんあったと聞きます。

あまり仕事についてのことを取り繕わない人で、経営が厳しい時は苦しいと聞いていたため、わが家の経済事情も、楽な時ばかりではないと知っていました。

それでも私や弟にはお金に苦労させることなく、十分な教育と、健康な体を与えてくれたことにとても感謝しています。

親子関係も穏やかなままここまで来ましたが、それゆえに改めてありがとうはなかなか言えずにいました。

いまだ照れる気持ちはありますが、区切りとして、感謝の気持ちを手紙にしました。

 

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お父さんにそっくりだから

お父さん

急に仕事が減るとボケるんじゃないかと心配していましたが、相変わらずの行動範囲と交友関係の広さに安心したり、あきれたりしています。

「仕事で忙しいのかと思ってたら、仕事減ってもすぐウロチョロしてるわ。」って、お母さんも笑ってた。

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これまでハイスピードで働いて来たから、大きな変化を周りが気にしすぎていたみたい。

もともと何でもやってみたい人だから、お付き合いか遊びなのかわからないゴルフや、なんだか楽しげな接待の食事も、お父さんからつらさを感じたことはありませんでした。

「お父さんは仕事楽しそうだなぁ。」なんて、小さい頃から結構大きくなるまで本気で思ってたよ。

それでも1人の人間が会社を始めて大きくするまでには、人生を賭けるような大きな決断も、地べたを這うような不安な時期もあっただろうと、今ではわかるようになりました。

家事や育児をうまくこなしていたお母さんの支えがあったとしても、それを全て1人で背負いながら、それでも家ではあんなに楽しいお父さんでいてくれたのかと、子供の頃を思い出しています。

大人になって、社会人として受けるプレッシャーの大きさと、それを受け止める自分の中にある器の小ささのギャップに、働くことの厳しさを知りました。

気持ちの切り替えや折り合いのつけ方は難しくて、オンとオフをはっきり区別できなくなって、いつも「お父さん、なんであんなにタフだったんだろう?」って思い出してたよ。

失敗談を大笑いしながら話していたことはあったし、明日の仕事は大変だと盛大にビールをあおっていた日もあった。

けど一度として頭を抱え込んだり、ため息をついて落ち込んだりしている日はなかった。

もともと忘れっぽいし、クヨクヨしない性格だから。

だとしても。

ずっとそれに救われて、実は不安定な船の上で、豪華客船に乗ったような気分で大人になりました。

もしかしたら本当は海峡を渡るフェリーだったのかもしれないけど。

それでも動力は一流だと、最高の出力で回り続けるエンジンの音に守られてきました。

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まだまだがんばって欲しいような、そろそろ休んで欲しいような、ちょっと複雑な気分です。

ただ元気でいて欲しい。

今までみたいに、楽しそうなお父さんを見ていたい、心からそう思っています。

いいことも悪いことも忘れっぽくて、センチメンタルな思い出話も「そんなことあったかな?」と平気で言ってしまう人なので、私しか覚えていない昔話はしませんが、人生は楽しいと教えてくれてありがとう。

前向きに生きることや、笑っていることがどんなに素晴らしいことかを、お父さんから学びました。

私には足りないものがたくさんあるけど、でもきっとできるって信じています。

私はお父さんそっくりだから。

また帰ります。

お寿司か焼き肉が食べたいです。

 

ハナコ

 

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相手がだれでも悪いものは悪い

控えめで周りへの気配りを欠かさない母とは違い、明らかにハナコは大ざっぱで忘れっぽい父に似ています。

「あんたお父さんそっくり…。」と母もよく絶句しています。

性格が似ているせいか、父の意見はしっくりくることが多かったので、昔から壁にぶつかった時、ハナコは時々どうしたらいいかを相談することがありました。

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口からでまかせに適当なことを言うことも多いので、真剣に聞いて損したと思うことも多々ありましたが、それでもいつも背中を押してくれました。

自分がやりたいようにやれ。

相手が誰でも悪いものは悪いと言えばいい。

失敗したって死ぬわけじゃない。

ストレートに入ってきた父の言葉のおかげで、ハナコは相手が親でも自分の意思を曲げず、間違いを真っ向から指摘する生意気な娘になりました。

それでも父は笑っていました。

私の大一番の決断にも、「おもしろいからやってみろ!」と無責任なことを言っていました。

だから私の人生は、いつも大変なものではなく、楽しいものになりました。

それはすっかり定着し、父と離れて暮らすようになっても、私の信念を支えてくれています。

でもこんな言葉をたくさん並べても、「ごちゃごちゃ言われてもわからん。」と父には言われそうなので、ありがとうは手紙の中で1回だけ。

途中で眠たくならないように、もっと短い方がよかったかも。

これからは手紙を読む時間も増えると思うので、こまめに書けるといいなと思います。

離れて暮らしていても、手紙なら一緒にいる時間が持てます。

濃さがないなら、数で勝負か、父には…の思いです。

家族の実りをありがとう。~母に贈る勤労感謝の日の手紙~

父が守ってくれた家族を、強く結びつけた母への感謝の気持ちも手紙にしました。

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