おとうさん、あのえんとつなぁに?~湾岸ドライブに父を想う手紙~

方向オンチのハンバートさんを迎えに、空港まできました。

駅から空港まではバスで。

久しぶりに湾岸線の景色を見ました。

昔は週末になると父の運転する車で出かけていたので、毎週のように見ていた風景です。

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湾岸のコンビナートには煙突が立ちならび、今でももくもくと煙をはきだしていました。

高度成長期がおわりかけていたとはいえ、まだまだ第2次産業には力があり、日本経済の原動力となっていた時代。

力強い鉄鋼の息づかいを、頼もしく感じていました。

父は鉄鋼業ではありませんでしたが、鉄鋼がささえる街で働く一人として、その力は感じていたにちがいありません。

公害をふせぐための規制も厳しくなっていたのでしょう。

まっ白な煙をはきだす煙突は凛々しく天にむかっていました。

車の窓からあきることなくそれを眺めながら、なんども父にたずねたこと。

「おとうさん、あのえんとつはなぁに?」

あの頃の父や、父世代の大人が命をかけて築いたもの。

家族を持ち、子どもを育てる立場になった今、それによって私たちは守られてきたのだと感じています。

一線を退き、すっかりおじいさん然とした父には、もう昔のようなエネルギーはありません。

それでもあの頃作り上げたものは、今でもふるさとの街を支えていました。

そんな煙突をながめていたら、父に手紙が書きたくなりました。

なんでもない日に感謝を爆発させたりしたら、父も驚きそう。

なつかしい景色に昔を思い出したよ、と話します。

 

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あの頃の煙突

お父さん

久しぶりに湾岸線を走りました。

海側に広がるコンビナートは昔のまま。

不景気で縮小されているような気がしていたけれど、見た感じは変わっていませんでした。

なつかしいね。

昔は週末にどこかへ出かけるたび、見ていた景色です。

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車の後部座席の窓から、煙突の数をかぞえては、「おとうさん、あのえんとつなぁに?」となんども聞いたことを覚えています。

当時は鉄鋼だけでなく、造船所もたくさんあった場所。

外国へ行く客船だとか、ビルを建てるための柱だとか、壮大な話にドキドキしました。

いつかは広い海を走る船が、この工場で作られてる。

飛行機の一部だってあるかもしれない。

そう思うと、なんだかそこは世界を支えているかのようにも思えて、とてもほこらしかった。

そしてやっぱり、そんな街で働くお父さんがほこらしかった。

男性が中心とならざるを得ない業種が多かったせいか、私の周りにはお母さんが仕事をしていない家庭がたくさんありました。

私たちはいつも、お父さんが1人、家族のために戦う家庭にいて、工場の街に守られていました。

沿岸に広がる景色は、当時問題になっていたであろう公害の元凶ではなく、私たちを守る砦でした。

高度成長期が終わりをつげてから、工場の街は不況に、震災に、世界経済に影響を受け続けてきました。

街を離れた私でさえ、そのダメージの大きさにはため息をついた。

港にももう、当時の活力はありません。

いくら最盛期の7割以上まで戻ったとは言っても、近所の丘から見た、目の前の海峡をゆく船の数はあきらかに少なくなった。

昔みたいに、大きな船も来なくなった。

「あのでっかい貨物船、ぜったい地球の裏側のブラジルからきたんだ。」って、友だちと手をふった。

豪華な大型客船や、写真で見るような帆船は、週末になればかならず港にはいってくるんだと思ってた。

ディナークルーズなんておままごとみたいな船しかいない港は、私と同じように、もうこない船を待ってるように思えてさびしかった。

それでも、久しぶりに見た工場の煙突が吐き出す煙は昔のまま。

それはまるで、元気になりきれない街や私に、必ず守ってみせるからと言っているようでした。

昔のように砦となり、エネルギーとなり、最前線で戦い続ける姿は変わっていなかった。

きっとあの頃のお父さんたちと同じように、この街で戦うたくさんの人たちが、この要塞をずっと守ってきたんだね。

そんなことを考えながら煙突を見ていたら、私は自分がこの街を出ていくことになった時の気持ちを思い出しました。

当時まだ街は復興の途中。

まるで見捨てるかのように出ていく自分は卑怯だと思った。

でも役に立たないこともよくわかってた。

だから必ず、この街の力になれる人間になろうと思っていました。

志はまだ半ば。

それでも久しぶりの煙突に、気合がはいりました。

私もまだまだがんばります。

また一緒に、ドライブしようね。

お出かけは、よそ見しないで安全運転でね。

 

ハナコ

 

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阪神工業地帯の鉄

華麗なる一族の舞台でもある阪神工業地帯。

ここには全国に、世界に名だたる鉄鋼業が集まり、巨大なコンビナートを形成してきました。

子どものころは知らなかったけれど、記憶の中の煙突や、海峡を行き来する大型の貨物船は、ほとんどが鉄鋼とつながっていたのではないかと思います。

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そんな街で育ったためか、武骨な工場の景色も私にはなつかしく、そしていまでも頼もしい父性を感じさせるものでした。

たまに車で通ることはあっても、自分が運転しているとゆっくり景色は見れません。

バスの車窓からはじっくり眺めることができたので、今回はバスで出かけてよかったと思っています。

昔の気持ちや、街を出る時の決意を、私は煙突を見るまで忘れていました。

なくしたわけではなかったけど、日々の小さなあれこれに埋もれていた大きなこころざしみたいなもの。

煙突は今日も真っ白な煙を空へと放ちながら、しっかりしろと言っているようでした。

そしてそれは、遠い昔の父の背中のようでもありました。

 

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