4月の息吹、思い馳せるはあの日の桜~娘に贈る誕生の手紙~
1/2成人式など、学校行事として子どもに手紙を書くことがあります。
生まれたときのことや、10歳を迎えた日に思うこと。
それぞれのテーマは悪くないのですが、残念なのは想像力が働きにくいところ。
本当なら10か月もおなかにいる間、たくさんのものを見て、いろんなことを感じ、時には話しかけたことだってあったのに。
改まって何かを書くとき、そういったことはなかなか思い出せません。
それでも季節の変化に、華やかに咲く花に何度もあふれた気持ちを伝えるため、娘に手紙を書きました。
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来年の桜はこの子と一緒に
ほのか
桜の季節が来ました。
10年前のこの時期、私のおなかの中にはあなたがいました。
まだ妊娠したことがわかったばかりで、つわりで気持ち悪くて落ち込んでいました。
そう若くもないくせに、家族が増える喜びよりも、不安ばかりがおしよせた。
母親になる自覚など、てんで持てないでいました。
変わったばかりの職場での疲れを引きずりながら、仕事にむかう日々。
まだおなかも目立たず、誰にも気づかれずにいたころのこと。
誰にどんなふうに話せばいいのかもわからず、1人でふくらむ不安をかかえていました。
おなかの中から数えたら、もう11年もたつ今となっては笑えるけれど。
初めての妊娠は私にとって得体のしれない、おそろしいものでした。
自分の体がどうなっていくのかもわからず、家でずっと眠っていたかった。
そんな重い頭と体をひきずって訪れた作業部屋。
もともとその職場は山の斜面に建てられていたので、周りにはまだたくさんの自然が残っていました。
初めて訪れたその部屋の窓には、一面の桜。
2階にあった部屋からは、満開の枝に手をふれることもできました。
みごとな景色に仕事も忘れ、しばらくしてようやく作業にとりかかりながら、ふと「来年の桜はこの子と一緒に見るのかなぁ。」と考えていました。
まだ私のおなかを押しあげることもできないくせに、絶望的な吐き気でその存在をアピールしていたあなた。
来年はおなじ景色をみるんだよと、はじめてメッセージをもらった気がしました。
それから10カ月して誕生したあなたとの生活は、ならんで桜をながめる余裕のあるものではありませんでした。
それでもあの日の桜を思い出すたび、生まれるずっと前に、一緒にがんばろうって話した気持ちでいました。
あの日から私は、1人ではありませんでした。
長く険しい子育てのあいだ、1人になりたいと思ったことは何度もありました。
けれど一緒にみた桜の記憶は、「2人でみたほうが、ずっときれいだったじゃない。」と語りかけてくるかのようでした。
ひとつずつ何かをあきらめて、それでも私が手にいれたものは、そんなものと引きかえになんかならないだろうと、あの桜は伝えていた。
あなたはすっかり大きくなって、お花がさわりたいから抱っこしてとも、写真をとってとも言わなくなりました。
いつかならんでと思っていたら、気がついたらとなりにもいなくなっていた。
それでも私は、桜をみるたびあなたと一緒にながめている気持ちになります。
そしてあなたがどこかで、今年もしあわせな気持ちで桜をみていたらいいなぁと思っています。
私にできることはもうほとんどないけれど、春がくるたび、大丈夫だなと思えます。
あんなに一緒にいたものと。
そして私もがんばらなければと思います。
小さな卵だったあなたでさえ、自分の足で歩いているのです。
あのころ想像した並びかたとはちがっても、これからもずっとあなたと並んで桜が見れるように、私も前を向いてゆくつもりです。
2016年 桜の季節に お母さんより
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いつになったら喜べるのだろう
28歳にもなっていたにもかかわらず、私は妊娠が喜べませんでした。
自分が母親になるイメージも持てず、ひたすら気持ち悪さと、体の変化にとまどっていました。
それでも子どもが生まれてくれば、テレビで見るお母さんたちのように、毎日しあわせそうに笑えると思っていました。
でも実際の子育てはそんな甘いものではなく、桜どころか、下ばかりむいて歩いていることに気がついたのも、はじめての妊娠から10年たってからなのです。
いつになったら子どもがかわいいと思えるのか。
いつになったら自分はいいお母さんになれるのか。
どうして自分だけが、こんなに苦しみながら子育てしているのか。
そんな悩みのなかでもなんとか踏みとどまれたのは、あの日の桜のおかげかもしれません。
子どもが生まれてくることが楽しみに思えた初めての瞬間。
いつかの節目に、娘にこの話ができたらいいなと思います。
春がすぎれば一度も思い出すことのない気持ち。
それでも桜が咲けば、毎年必ず思い出し、やさしい気持ちになれる記憶です。
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