七五三のお祝いへのお礼の手紙~見守ってくれた人への感謝の言葉~
七五三のお祝いは子供へのもの。
品物やお金を頂いた時でも、経済力のない子供からのお返しは必要ないとされています。
ですが誕生日でもなく、入園や入学といった社会的な節目でもない七五三をお祝いしてくれる人というのは、子供のことをかなり気にかけてくれている、大切な人です。
だからこそお祝いに対しては、心をこめた手紙で感謝の気持ちを伝えませんか?
自分のことを大切に思ってくれる人がいる、そのことは子供の心の大きな栄養になります。
5歳や7歳になり、子供がお礼の手紙を書ればそれもいいですが、七五三のお祝いは親のつながりがあってこそ。
今回は大人の言葉で、これまでの感謝の気持ちと、これからの成長も見守って頂けるよう、心を込めてお礼の手紙を書きました。
内容は七五三のお祝いに頂いた手紙へのリプライになっています。
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温かなまなざしに支えられた3年間
ユウコさん
七五三のお祝い、ありがとうございました。
今日の日も周りの人たちに支えられ、なんとか親の役目を果たすことができました。
それなりの年齢になっていたにもかかわらず、出産直後の私は親としての自覚も覚悟も足りず、目の前で次々起こることに慌ててばかりの毎日でした。
今もそれは変わりません。
ですがあの頃と大きく変わったのは、自分の弱さを受け入れ、誰かに助けてもらうことは間違ったことではないと思えるようになったこと。
辛かったり苦しかった気持ちを、素直に話せる友人がいたことは、何よりも私を支えてくれました。
実際はどんなことがあっても、母親である私以外の人に、具体的なことをお願いできたわけではありませんでした。
夜中の病院も、公園でのグズグズも、つき合えるのは親だけ。
わが子の気持ちに寄り添い続けられるのは、自分だけだと3年かけてやっと覚悟を持てた気もしています。
ただ「夜の救急、びっくりするほど待ち時間長いよね。」と、まるで笑い話みたいに話せる友人がいるだけで、私は1人ではないと思えました。
時と場所は違っても、みんな同じ思いで子供と向き合っている、そのことは疲れ果てた私を心身ともに回復させてくれました。
そして「もうちょっと大きくなったら、こんな風になるよ。」と、これからの成長の楽しみをずっと示してくれたユウコさんのような友人にも、とても感謝しています。
永遠に続くかと思えるような真っ暗なトンネルは、必ず終わるのだと希望を持って楽しみに待つことができました。
何も知らない状態では、明るい未来を想像することもできず、辛いだけの日々でした。
そして1番ありがたかったのは、そんな愛情いっぱいの言葉で私を包んでくれながら、決して余計な手は出さないユウコさんの態度でした。
どんな弱音も隠さずに話せたのは、私のやり方全てを肯定してくれたから。
私の気持ちが伝わるのでしょう、ほのかもまた、ユウコさんには心から安心した笑顔を見せます。
これからもどうか、私と娘の成長を見守っていて下さい。
いつかユウコさんみたいなお母さんになれるよう、私もがんばります。
ハナコ
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目標にする人がいたことのありがたさ
若くしての出産ではありませんでしたが、子供を産んで初めて、「私は子供のことを何も知らない。」と、衝撃とともに気がついたことを覚えています。
それでも子供に対して責任を負い、日々の絶え間ない世話とともに、次から次へと迫られる決断。
大きなプレッシャーに落ち込んでばかりの頃、支えてくれたのは、どんなこともおおらかに笑いとばしてくれた先輩お母さんたちの存在でした。
不安や悩み、迷いも全部受け止めて、自分たちの失敗や後悔を隠すことなくハナコに聞かせてくれました。
失敗しても大丈夫なんだ、完璧じゃなくたっていいんだと、何度もくり返してくれました。
おかげでハナコはなんとか1人の母親として、ささやかな日々を積み重ねることができたのです。
もちろん今だって、悩んでばかり、失敗してばかりです。
それでも自信を持って言えるのは、あきらめなかった、ということ。
目標にしてきた友人たちのように、ハナコもあきらめずにここまでやってきました。
これからもあきらめません。
弱音を吐いて、迷って、落ち込みながら、でもそれを話した誰かが、「うちも一緒だよ!」と魔法の言葉をかけてくれたら、困難は一転、笑い話に変わります。
ハナコにはそんな魔法使いの友人がいます。
いつかハナコも魔法使いになれますように。
誰かの支えになれますように。
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